アンラーンの重要性と情報メタボからの脱却

あるある

こんにちは、へんりーです。

今日の気になる記事はこれ!

 

あなたは「知らな過ぎ」ですか?それとも「知り過ぎ」ていますか?(NAKAHARA-LAB.net)

現代の知識社会をサバイブするとは「知らな過ぎ(知識が不足していること)」と「知り過ぎていること」の微妙なバランスの上に成り立っていることがわかります。

〜中略〜

わたしたちは
「知らな過ぎ」でいるか「知り過ぎ」ている社会を、サバイブをしなければなりません。

私はThe Internet黎明期を中高生の時代に過ごしました。

「Yahooというすごいサイトがあるんだけどよ?」ってちょっと当時PCに詳しい友達に教えてもらって、実際に検索してみた記憶がなぜかとても鮮明に残っています。今じゃ考えられないセリフですよね。

その時代から比べると今、というのは本当に容易に情報を摂取することができます。

相対的に人々が情報に対する価値を見出せなくなったとも言えます。

情報は無料で得られるもの、というのが基本的な思考に染み付いています。

 

そんな環境で時間や労力をかけて得た特別な情報や知識はとても大事なものに見えて当然でしょう。

元を取らねば!とか、せっかく頑張ったんだから!という感覚も生まれます。

でもそれにしがみ付いていては新しい着想や、情報を身につけることができない危険がある!というのは確かになーと思いました。

 

一番ヤバいのはあまり目的もなくネットやTwitterを散策して、時間や労力をかけたつもりになっていることです。

平気で時間は奪われていきますし、そういう風に過ごした後は大抵、「結局、何してたっけ?」という時間で終わります。

スマホで常に何か検索していないと気が済まないという人もいるのではないでしょうか。

検索して知ったつもりになって満足する、と思いきやわからなくなって不安になって検索する……情報メタボの始まりです。

 

知ったことは適度に発信しないとどこかで消化不良を起こして、無意識の内に考えることがしづらい思考になってしまいますよ。

適切なアウトプットは適切なインプットを生みがち!

私も数年前はそんな感じで貴重な休日を一日中何かしらネットで検索して過ごすという無為な生活を送っていたので、今思うととてももったい無いことをしていたな、と。

そういう時にこの曲刺さりますよ。。

YouTubeはいいの無かったので歌詞みただけでもなんか無力感。優しい名曲です。

キュウソネコカミ 「何もない休日」

 

つい昔の闇の方向に行きかけました。

 

記事内で「ラーン(学ぶ)」「アンラーン(忘れる)」のループが大事だよ、と述べられていますね。

転職でもこのことは特に注目されています。過去の経験をうまく活かして、うまく捨てる(固執しない)。

おっさんになるにつれ過去の経験や成功体験を語りたくなるのが最近になって非常によくわかってきましたが、ぐっとこらえて愚直に教わるときは教わる、ラーン済みの経験は伝家の宝刀のように本当に大事な時にだけ出すそんな気持ちが大事なんだと感じています。

要は貪欲に謙虚にという心持ち。

大人だけど子供みたいな。

 

宇野常寛さんの言う「バランスをとれ!」タイプの論調で実際の行動に紐づかないのが残念ですが、思考の刺激になって面白い記事でした。

 

それでは。

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