「オラる」ではなく「オラつく」から考える言葉と自己表現

雑記

こんにちは、へんりー(@a_henly)です。

今日の気になった記事シリーズ。

 

言葉の語源を考え出すと楽しい

「オラオラ」はなぜ、「オラつく」という形で動詞化されたのか? / ITmedia NEWS

 

こういうひとつの言葉の意味をしっかり考えることは楽しいです。

「素直さ」とはどういう意味か、とか。

 

さて今回の記事にあげられているテーマ。

「オラつく」

そうそう使う言葉でもないですが、ピタッとはまるような行動を取っている人、街中で見かけますよね。

あと、マンガとかでオラついてるキャラは好きです。なぜか憎めないキャラが多くないですか?これなんの問いかけ?

 

さて、記事の内容によると「オラオラ(擬態語)」が「オラつく(オラオラの動詞化)」になったのだろう、しかしなぜ?という茂木俊伸教授の説。

 

オノマトペの動詞化規則としては「-する」が最も一般的で、「-つく」を付ける語は限定されています。例えば笑う様子を表すオノマトペでも、「にやにや」は「にやにやする」と「にやつく」の両方が使えますが、「にこにこ」は「にこにこする」だけで「にこつく」にはなりません。

引用:ITmedia NEWS

 

オノマトペとは擬態語、擬音語の総称を指します。

「どきどき」とか、「ふらふら」とかものが発する音や、様子を言葉に表現しなおした言葉ですね。

それらが動詞化される時には後ろに「する」「る」「つく」が付与され、「つく」というのはマイナスのイメージのある言葉に付与されるのだ、というお話。

 

こんなパターンがあるとは考えたこともありませんでした!

確かに「どきどきする」はあっても「どきつく」なんて言いませんし、「ふらつく」は危ないというマイナスのイメージがありますね。

 

一方でオノマトペを動詞化した他の若者言葉を見てみると、「いちゃる」(いちゃいちゃ)や「じわる」(じわじわ)のように、「-る」という形で新語を作ることが多いようですから、「オラオラ」の動詞化として「オラる」ではなく「オラつく」が台頭したというのは不思議です。

(中略)

誰に教えられたわけでもなく、若者たちが「-つく」のルールを使って自分の表したい感情が伝わる“適切な”表現を新しく作って活用しているのは、とても面白い現象だと思います。

引用:ITmedia NEWS

 

最後の一文の観点も新たな発見でした。

 

”自分たちが表したい表現を作って活用する”とありますが、これは裏を返せば既存の言葉では自分の今の感情を適切に表すことができないからと言えるでしょう。

 

私もよく「やばい」という言葉だけでたくさんの感情を片付けてしまいます。

本当は「驚いた!」「不安だ!」「貴重だ!」とか色々なもっと細かい感想があるはずなのに、つい自分の気持ちを表現する際には「やばい」が口をついて出ます。

「貴重だ!」よりも「やばい」が先に出るのは早く自分の気持ちを表現したいという思いが勝るからでしょう。

この今の感情の早さに適した言葉が即座に引き出しから出せないから「やばい」でまとめる。

自分でもその時の感情を正確に省みたりしていないですが、ふっと考え直してそれらしい理由を考えるとそう思います。

 

そしてその行動は自分の感情をおろそかにしていて、適切な言葉をひねり出すまでもない感情という風に自己否定につながっているような気もします。

その結果、「やばい」しか言葉がついて出ないような不健全なループに…というのは考えすぎでしょうか。

 

さて、「オラつく」からだいぶ離れてしまいましたが、言葉と自己表現はとても密接な関係にあるとあらためて気づきました。

この記事を初めて読んだときは「現代は様々な言い表しにくい様々な感情が渦巻いているのだろう」的な論調で書こうと思っていましたが、この記事を書きながら己を省みるととてもそんな事言えた口じゃないな、と思って路線変更しました。

自分の使う言葉も丁寧に扱えるような人って素敵ですよね。そういう人になりたいです。

 

それでは。

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