イマジナリーフレンドとセルフコーチング

ライフハック

こんにちは、へんりーです。

今朝ワイドショーを見ていたら社会学者の古市憲寿さんが”イマジナリーフレンド”について話していました。番組の雰囲気では「古市さんがやべえ奴」という空気になっていましたが、気になったので調べてみました。

 

言葉の定義

イマジナリーフレンドは直訳のとおり、”空想上の友達”として心理学、精神医学における現象の1つのようです。ようです、と歯切れが悪いですが、少し調べた限りでは、誰が唱えだしたなどの詳細な情報が見つからなかったので、映画や小説など作品上だけで定義されている言葉かもしれませんし、ネット上では体系だった情報がないだけかもしれませんね。”イマジナリーコンパニオン”とも表現されるケースもあります。

番組の雰囲気であったように、人に話すと少しヘンな人と見られるケースも少なくないでしょう。その為、あまり人に話す機会がないかもしれませんが、そういう現象に触れている(”空想の友達”をイメージする、話す)人は多いと思います。

 

イマフレ持ちは精神マッチョの標的

私自身も意識的に”イマジナリーフレンド”を想像したことはありませんが、ブログを書いているときや、自分について考えるときなど、自分の中で会話のような思考をすることはあります。いわば仮想の自分と対話するような形式でより文章をよくする為に考えています。

そういう経験もあって、古市さんの話はすっと受け入れられる人でした。

一方で仮想の友人(“イマジナリーフレンド”)、仮想の自分がいる人をはじめ、(急に範囲を広げますが)精神的な支えを希求している人を、「精神が未熟な人だ」という印象を持つ人もいます。仮想の存在を心の中に抱えないと自分を保てないのか、俺はそんなもんに頼らないぜ!と、そういう人を精神マッチョと私は名づけます。

精神マッチョはメンタルが安定しているので羨ましいなと思います。私はどちらかと言うと非精神マッチョです。マッチョになる為に本を読んだり、勉強したりする。つまり、本や勉強は筋トレ…というとまたニュアンスが違ってきますね。”マッチョ”言いたいだけの感じを出してしまいました、すみません。

少しずれましたが、割と”仮想の友人”や”仮想の自分”は意識していないだけで誰しも心に抱えていて、その”仮想”から離れることが正しい(=自立の強要)という論調の人は多い。だからこそ”仮想”と戯れていることは恥ずかしいと思ってしまう人も多いのでは?と思います。

 

問題解決の手法として

”イマジナリーフレンド”を通じて、自分の抱えている課題や悩みを考える事もできると思います。精神的な安らぎだけでなく、問題解決の手法として意図的に観点を持つのも大事かもしれませんね。

最近では心の対話やセルフコーチングという観点から「ひとり会議」というアプリもリリースされているようです。自分で淡々とやるだけではなく、他人にそのやりとりを公開することもできます。他人の自問自答を見てみるのも面白いですので興味のある方は使ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは。

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