価値ある情報とは?情報発信の為の心構え

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こんにちは、へんりー(@a_henly)です。

本日はブログ記事の話。同じ悩みをお持ちの方がいれば、と思い書いてみました。

 

情報の価値は誰が決めるか

価値ある情報を提供するつもりで始めたこのブログですが、他人にとっての価値とは?と考え始めると、つい記事が書けなくなります。

よくブログ成功術!みたいな話があるじゃないですか。

その中で「誰かの為の言葉は、記事は誰にも刺さらない」という話もよく書かれていますよね。

私もそれを日々思い悩んでいて具体的な誰かを思い浮かべた方がいいのだろうか、と考えたりしますが、一方でそれを気にしすぎて具体的なペルソナを考えて深く刺さる記事を書く為のハードルが自分にとって高いのであればそんな考え捨ててしまえばいい、とも思います。

 

つまり、結局のところは?とどっちつかずなスタンスでいるのですが、答えは書いていく内に見つかっていくだろうと思って更新を続けています。

 

2018年3月から初めて、初期の頃はほとんど更新もできていませんでしたが、ここ数ヶ月は比較的継続して更新ができています。

更新した記事は、記事数にして70弱。

 

なんとなく書いていてしっくりくるのはやはりこういった雑記系の記事です。

自分語りというか、半分自己分析のような雑記ですね。

あとは具体的な手順や、ノウハウを掲載した記事も書きやすいと感じますが、時間がかかります。

苦手な記事は外部に答えがあるものかつ、正解がある程度決まっているもの。

 

かっこよく言えば自分の表現力・文章力だけで勝負できるものが得意、と言うことです。

ダサく言えば社会側に数字などの絶対的な答えがあるものは苦手、と言うことです。

 

そういう記事をお届けしている時点で、他人(社会)よりも自分の価値観に基づいた情報に価値があると考えており、他人(社会)の価値観とはズレていてもよい、という意思決定を無意識にしていたことが、この記事を書いている今、わかりました。

 

そう。書いていれば書きやすい内容や、書きにくい内容、そういったものがわかります。

逆に書かなければわからない。実感できない。

 

記事として書く情報の価値もそれに準ずるのかな、と漠然と考えています。

いまは、自分が記事らしい記事を書くことに満足している状態ですが、次のステップとして自分の文章をどう表現すれば、どう書けば自分の言葉で他人を響かせるようなことができるのか、とそういう事を考える段階なのかと思います。

そうすれば副次的に他人が価値ありと思える情報も発信できるのではないでしょうか。

 

それに、(こう言うと元も子もないですが)長いスパンで考えていけば、たとえネットの海に流れようとどんな情報だって価値あるものになっていきます。

いまこの瞬間に、個人ブログムーブメントの一端に、こういう考えの人間がいて記事を更新していた、という事実があるだけでも何かしらの価値に繋がると考えています。

そういう意味でも情報の価値を決めるのは誰か、という事を短期的な目線よりも長期的な目線で考えてものを書くと面白いですね。

 

少し話は発散しましたが、私は情報の価値を訴求する対象をガチガチに決めるのではなく、ゆるく決めてしまうのもいいんじゃないか説を推します。

 

それでは。

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