こんにちは、へんりーです。
7月入ってから記事の更新を続けられていますが、自分の中で記事更新作業が以前ほど苦痛ではなくなりました。
それはなんでだろう?と自己分析の中で見つけた気づきについてお話しします。
1.記事に対するハードルを下げる
記事を書く時ってこの情報は正しいのだろうか?、ここまで言ってしまって大丈夫だろうか?などとつい二の足を踏んでしまいます。
それはネットに発信するならきちんと根拠に基づいた情報や、納得感と配慮に飛んだ記事を書きたい!という根本的な思いから来ているはずでしょう。
それがネックとなって記事を書ききれない、公開しきれないというのはとてももったいないと思います。
二の足を踏んでしまう2つのポイントに対して少し距離を取って肩の力を抜いてみる、とりあえず書ききって公開してみる、というアプローチをほぼ無意識に取っていました。
肩の力を抜くのは本当に些細なことですが、話の骨子を考えてから書くのではなく、日記の内容をもとにつらつらと書き出してみるとかです。
初速を上げる、後は手が勝手に動くのを委ねるという感じでしょうか。
また、そのような始まりなので勢いで書いてしまったことが、世界のどこかの人につい悪く刺さってしまうということもあるでしょう。
誰かに取っての毒薬は、誰かにとっての良薬でもあります。
批判を恐れず書いてみるという心持ちですね。
2.今日やり切らなかったどう思うか?と考える
例えば毎日記事を更新するという目標を掲げているとして、今日分を書く気力がない…というのは往々にしてあるケースです。
体力や気分、ネタ切れなど実に色々な要因で人は自分を甘やかそうとします。
そんな日は今日やり切らなかったら自分に対して、自分はどう思うのか考えてみるのです。
自分では解決できないような事に起因して記事が書けないという事は自分としても納得するので、その翌日もなんとか時間を見つけ更新を淡々と進められるでしょう。
ところが自分に甘い理由で継続を止めてしまうと、翌日以降もその理由を容易に取り出し結局更新停止になってしまいます。そういう自分を俯瞰してみるとなんとも情けない気がしませんか?なんとしてでも避けたいですね。
このテーマ。もっとつらつらと書くことができそうなテーマでした。
意外と気づきが少なかったのはそこまで考えを詰められていない、かつ自分の振り返りがうまくできていない証拠です。
それでも記事を公開します!
記事のクオリティは正直、低いですが、また新たな観点ができてからリライトなどして自分自身、時間をかけて修正するという事もできるので、深くは考えすぎないことにします。
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