こんにちは、へんりー(@a_henly)です。
今日は課題設定についての話。
対処療法ではなく本当の課題を考える
あなたの職場では、問題の真因を議論しないまま目先の課題をひとまず解決しようとする人はいませんか?
問題に対する対処療法しかとらず、本質的な問題の原因を突き止める前に見切り発車で対応する。仕事の中では結構ありがちなことかと思います。
こういう状況になってしまうのは、自身の経験上背景として大きく3つのケースがあります。
1.上司、顧客からせっつかれている(せっつかれるリスクがある)
2.真因を見つけるためにとりあえず対応したい
3.本当に目先の課題しか見えていない
1.上司、顧客、誰かからせっつかれている(せっつかれるリスクがある)
これはプレッシャーにより、課題に対して正常な判断ができない状態で動くという、いわば暴走しているような状態です。
こういう時って私も経験あるのですが本人の中では結構焦りながらも正常な考えだと信じています。
ただ他人から見ればぼろぼろの論理で考えている、と。
こういったケースになっている人には論理的に組み立てて問いを投げかけることで、冷静に考えてもらえる可能性があります。
確かに、上司も顧客も場合によってはかなり精神的な揺さぶりをかけてくるケースがありますが、だからこそ味方になってあげて一緒に落ち着いて考えてもらうことが大事です。
2.真因を見つけるためにとりあえず対応したい
やや1とも重複するのですが、評価されたいとか、スピード感重視で対応する人にありがちなケースです。
よくわからないからとりあえず進めよう!という具合に。
うまく進めばいいですが、うまく進まなかった場合のリスクもきちんと考慮する必要があります。
リスクを担保した上で、なおかつ本当の課題に一歩でも近づけるかどうかという基準を持って対応に望むことがいいですね。
3.本当に目先の課題しか見えていない
課題設定の一番難しいところで、自分の中での課題の定義というのはとても強力で、「これだ」と言う答え以外、本人には見えないケースがあります。
冷静に考えても課題の先にある本質的な課題が見えないんです。
それは洞察力の足りなさだったり、状況の捉え方だったり様々な観点から見てみるという行為がすっぽり抜け落ちているのでしょう。
インフラエンジニアがよく出くわすシーン
ここまでやや抽象的な話が続きましたが、私の仕事に当てはめてお話ししましょう。
私が日常、取り組んでいる仕事では課題がわかりやすいケースと、わかりにくいケースがあります。
【課題がわかりやすいケース】
サーバに繋がらなくなった、ログを確認すると電源が切れた形跡がある。
だからサーバの電源ユニットか、電源タップのケーブルが緩んでいるのかもしれない、そのあたりを調べてみよう!
というようなトラブルであれば比較的、本当の課題・原因というのは突き止めやすいですよね。
【課題がわかりにくいケース】
Webサイトにつながりにくい状況になった、ログも異常そうなところが見当たらない。
さて、どうしよう!
というようなトラブルですとWebサイトの問題なのか、WebサイトにアクセスしにきたユーザーのPCの問題なのか、はたまたネットワーク回線の問題なのかたくさん調べるところがあります。
こういった際に、”顧客から早く解決しろと言われたから”とか”復旧優先でやるんだ”とかそれっぽい理由もないまま、「とりあえずWebサイトのサーバを再起動しよう!」というのはまさに対処療法ですよね(ほとんどの状況ではこんなに思い切った行動は行われないと思いますが…)。
結果として残るのは時間のロスと、戻ってこないログなどです。おまけでどこかからこっぴどく叱られることも多々あり。
というわけで、しっかり一つずつ疑わしいところを潰していって課題に対する原因に着実に歩を進めることが大事ということです。
大体は課題設定が間違っているだけ
インフラエンジニアの具体例を出しましたが、似たような事例は仕事でも、プライベートでもどこでも同じことが言えます。
課題設定を一度落ち着いて正しく考え直してみることで、時間のロスを回避できて理想の方向に一歩進める。
その課題再設定というのが妙技ですが目標から逆算で考えてみることはよく言われますが、私はそれに加えて目標を達成した後で自分はどうしたいか?と考えてみることをおすすめします。
そうすることでより具体的な目標になったり、目標を達成して本当に得たかったものを満たすには違う方法でもいいんじゃないかと考えたりできます。
例えば「お金持ちになりたい」という目標があれば、「お金持ち」になって何をしたいか考えます。
世界一周旅行をしたい、隠居生活をしたい、どこかに寄付したい、などそのお金を使ってしたいことを考えてみます。
そうすると世界一周旅行で得たいものは”未知なる世界での体験”だ、と気づくとします。
そこで”未知なる世界”の再定義を行い、結果的に「お金持ち」ではなくとも”未知なる世界での体験”は得られるのではないか、と考え直すことができます。
問いを深めると言った方が考えやすいかもしれませんね。
私もまだまだですが、もう一段階考えてみる習慣があると世の中もう少し違って見えるかと思います。
それでは。
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